自然と環境

見事なヒスイの石仮面をマヤの王墓で発見、「闇の時代」解明の手がかりとなる嵐の神

3/7(木) ナショナル ジオグラフィック日本版

「きわめて珍しい」と考古学者、盗掘を免れたグアテマラのチョチキタム遺跡で発掘

翡翠(ヒスイ)のモザイクでできた小さな仮面。目と歯にはウミギクガイの殻が使われ、嵐の神を表している。紀元350年ごろにチョチキタムに埋葬された王の胸の上に置かれていた。(PHOTOGRAPH BY RUBÉN SALGADO ESCUDERO)

 チョチキタム遺跡は、中米グアテマラのヤシの木が茂る熱帯雨林の中、落ち葉と石の塊に埋もれた場所にある。


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これまでほとんど知られていなかったこの遺跡は、考古学的な大発見が起こるような場所にはとても見えないかもしれない。ましてや、長い間、研究者たちを悩ませてきた闇の時代の手がかりが見つかるとは、誰も考えなかったはずだ。

 しかし、それが現実になった。この場所で、翡翠(ヒスイ)を組み合わせて作ったミステリアスな仮面が発見されたのだ。これまで知られていなかったマヤの王のものだと考えられている。

 この発見から、1700年近く前の古典期初期のマヤ文明における篤い信仰と王位継承の実態が浮かび上がってくる。それだけでなく、この時代のマヤの王族が、マヤよりもさらに強力なメソアメリカの王朝の支配下にあった可能性があるという説の信憑性を高めそうだ。

「この点に関しては、さまざまな説があります」と話すのは、考古学者でナショナル ジオグラフィックのエクスプローラー(探求者)でもあるフランシスコ・エストラーダ゠ベリ 氏だ。

「この仮面によって、マヤの歴史に関する古い解釈が葬り去られる日はますます近づくことでしょう」

王のピラミッドと棺の発見

 チョチキタム遺跡とその歴史は、時の経過による荒廃と深い熱帯雨林にはばまれて、長い間謎に包まれていた。

遺跡があるペテン県は、グアテマラ北東部に位置する低地帯で、メキシコとベリーズに挟まれている。遺跡自体は20世紀初頭から知られていたが、マヤ文明とのつながりについては、ごく最近までわかっていなかった。

 理由のひとつは、遺跡ができた年代にある。マヤ古典期は紀元250年から900年ごろで、マヤ文明の最盛期と重なる。しかし、この時期の文献はほとんど皆無で、栄光のほとんどは盗掘によって失われてしまった。

 実際、チョチキタムも盗掘者の餌食になっていた。

2021年に、レーザー光線による測距技術である「ライダー(LiDAR)」を使った調査では、遺跡の中心である王家のピラミッドと思われる建造物に、盗掘用のトンネルが掘られていたことがわかった。

しかし、エストラーダ゠ベリ氏と同僚のブハニー・ジロン氏は、盗掘者たちが見逃した場所があることに気づき、発掘調査を行った。

「簡単なことではありませんでした」と、米テュレーン大学中米研究所の教授で、マヤの先古典期と古典期に詳しいエストラーダ゠ベリ氏は話す。

 ピラミッドを7メートル以上も掘り進んだところで、ジロン氏が頭蓋骨と何本かの歯、そして棺のような形の石の箱を見つけた。

箱の上部は壊れていたが、エストラーダ゠ベリ氏は副葬品を見つけた。壺、巨大なカキの殻を組み合わせたもの、いくつかの骨の破片、そして、美しい翡翠が丁寧に並べられていた。

王にふさわしい翡翠の仮面

 2022年6月下旬、研究室に戻ったエストラーダ゠ベリ氏は翡翠に注目した。これは考古学者がテッセラと呼ぶもので、ほかのマヤ遺跡では、王族を埋葬する際のモザイクの仮面に使われてきた。神や先祖の象徴として、埋葬者の富や権力を表していることが多い。

 何度か翡翠のタイルを動かすと、渦巻き状の目と鋭い歯を持つ顔ができた。

 また、目ざとい同僚が、墓の主のものと思われた骨の一部に、黒曜石で刻んだと思われる細かい彫刻に気づいた。

骨のうち2つは埋葬された王のものではないこともわかったが、その彫刻から、支配者である王の身元が明らかになった。

なんとその彫刻に描かれていたのは、マヤの神の頭を掲げる支配者だった。それは、エストラーダ゠ベリ氏がよみがえらせた仮面の神そのものだった。

 しかし、この王や神は何者なのだろうか。エストラーダ゠ベリ氏は、米アラバマ大学の考古学者で、マヤの碑文に詳しいアレクサンドル・トコビニン氏の協力を得て、彫刻の解読にあたった。そして、謎の支配者と神の身元が明らかになった。

支配者は、イツァム・コカジュ・バフラム(「太陽神/鳥/ジャガー」の意)。そして渦巻く神は、考古学者たちにヤクス・ワヤーブ・チャウクG1(「最初の魔術師 雨の神」の意)と呼ばれている存在で、マヤの嵐の神だった。

 エストラーダ゠ベリ氏は、この発見は「きわめて珍しい」と言い、まだ明らかになっていない時代や場所の貴重な情報源になるだろうと述べている。

地方と中央、それぞれの王

 墓から見つかった香や骨の放射性炭素年代測定を行ったところ、イツァム・コカジュ・バフラムは、紀元350年ごろのチョチキタムの王だったとみられることがわかった。

 埋葬の場所から、その主がエリート階級や王権を持つマヤの支配者であることは明らかだ。しかし、遺跡で見つかった工芸品や建築物から、当時の地方指導者の多くはさらに強力な王に従属していた、あるいは操られていたという説の信憑性が増している。また、この遺跡から見つかった品の中には、ほかの強力なメソアメリカ都市で見つかった品を思わせるものもある。そのひとつが、全裸のイツァム・コカジュ・バフラムの姿を描いたものだ。

「これがティカルやテオティワカンの影響下にあったマヤの王だったことは明らかです」

とエストラーダ゠ベリ氏は言う。

古代メソアメリカの都市テオティワカンは現在のメキシコにあり、マヤの都市ティカルは同じペテン県にある。どちらも、僻地と言えるチョチキタムよりも大きく、影響力も強かった。

「遺跡からは、隷属的な地位にあったという証拠は見つかっていません。しかし、状況から考えれば、ティカルには直接的に隷属し、テオティワカンには間接的に隷属していたと思われます」

 チョチキタムの王たちの詳細や、謎につつまれたマヤ古典期初期の強力な支配者たちとのつながりについては、まだわからないことが多い。エストラーダ゠ベリ氏のチームは、遺跡で見つかった骨の古代DNA調査や、打ち捨てられたピラミッドからさらに宝が見つかる可能性など、あらゆることを調査し尽くすつもりだ。

 それが明らかになるまでは、失われたマヤ王の翡翠の仮面を堪能することにしよう。エストラーダ゠ベリ氏によると、この仮面と彫刻が施された骨は、地道で骨の折れる考古学調査の世界ではめったに味わうことができないスリルに満ちているという。

「今、目の前にあるのは骨ですが、それを調べることで、彼がきらびやかな衣装を着て、王位の象徴である品を手にし、王権を掌握していた様子が見えてきます。これはたまらなくわくわくする瞬間で、考古学者としての特権です」

と、エストラーダ゠ベリ氏は話す。「ときには、幸運に恵まれることもあるのです」

文=ERIN BLAKEMORE/訳=鈴木和博

新潟市の住宅地から原油が噴出 地震との関連は不明
    
2024年1月3日 Yomiuri

新潟市秋葉区で、原油が住宅の敷地から噴き出した。一帯はかつての原油産地。区によると、2日午前10時20分頃、同区滝谷町の住宅敷地内から原油が噴出していると連絡があった。区は原油が川に流出しないよう、吸着マットを側溝に設置するなどした。

川への流出は確認されていない。

原油は住宅敷地外に流れ出し、辺りには油の臭いが立ちこめた。付近は能登半島地震で震度5弱を観測したが、区は地震との関連について不明としている=新潟支局 家田晃成撮影 2024年1月3日公開

札幌や函館などで初雪 大樹で氷点下2・9度

11/04 12:37 更新  hokkaido-np.co.jp

上空に強い寒気が入り込んだ影響で道内は4日、平野部で雪が降り、札幌市などで初雪を観測した。

札幌の初雪は平年より7日遅く、昨年より3日早かった。

冷え込みは5日にかけて続く見通しで、札幌管区気象台は路面の凍結などに注意するよう呼び掛けている。

 気象台によると、札幌市のほか、旭川市、函館市、帯広市、室蘭市、網走市で初雪を観測した。

平年に比べ、旭川市は18日、函館市は6日、帯広市は2日、室蘭市は5日、網走市は7日遅い観測となった。

 鵡川ししゃも漁が大不振 不漁の2015年下回るペース 海水温上昇が原因か

10/24 05:00    hokkaido-np.co.jp

 【むかわ】「鵡川ししゃも」のブランドで知られ、今月1日に解禁した鵡川漁協(胆振管内むかわ町)のシシャモ漁が大不振に見舞われている。11月上旬までの漁期の折り返しを過ぎても漁獲量は1・6トンにとどまり、近年で水揚げ量が最少だった2015年を下回るペース。

海水温が高く、来遊が遅れていることが要因の一つとみられる。

 同漁協などによると、23日までの漁獲量は前年同期比85%減で、漁獲高は60%減の約700万円。最終的な水揚げ量が8・1トンにとどまった15年でも10月23日時点で2・9トンだった。同漁協の小谷地好輝組合長は

40年以上シシャモ漁をしているが、今年ほどとれない年は記憶にない

と嘆く。

【警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識】

看板だった予報部が消えた気象庁の「大改革」 地震火山部の「地震予知情報課」も廃止

 2020.10.9 ZakZak

この10月から、気象庁の組織が大幅に変わった。

100年以上続いた東京・大手町から11月に霞が関の合同庁舎に移転する前の大改革である。

 気象庁を代表する部署、予報部がなくなった。

天気予報や台風の進路予想などを担当してきた気象庁の看板だった。予報部は80年近い歴史を持ち、かつて中央気象台だった気象庁より歴史が長い。

予報部、地球環境・海洋部など3つの部は新たに設置された2つの部、情報基盤部と大気海洋部に統合される。

 ところが、9月上旬に西日本を襲った台風10号で予報部はミソをつけた。

予報部が早い段階から特別警報級になると注意を呼び掛けていた台風10号は予想に反した。結果的に特別警報の発表は見送られ、市民の中には空振りといった受け止め方さえある。

 気象庁は当初、台風10号が通過する4日前に似たコースをたどった台風9号が海水をかき混ぜ、台風のエネルギー源である海水温を低下させたのが勢力を弱めた原因だと発表した。だがその後、予報より早く勢力が弱まり雨量も少なかったのが原因として発表を訂正した。

 予報は完全ではなかったのだ。

それでも気象庁は

「警戒呼び掛けを受けて避難や事前の準備に取り組んでいただいた結果、被害軽減にもつながった」

と述べた。ツイッターには

「しくじったときにまずすべきは、言い訳ではなく反省と謝罪が必要」

という厳しい言葉が踊った。

ほとんどの場合に過大な気象庁が出す津波情報と同じで、オオカミ少年になる恐れもあるのだ。

長期予報(3カ月予報)も課題だ。

げたを投げた程度にあてにならないといわれて久しい。

明日、明後日の予報が「大気の運動方程式」を使ってスーパーコンピューターで計算できて当たるようになったのと対照的に、数カ月先の予報はこの方式が使えず、過去の経験に頼っている。英国ではいさぎよく長期予報を廃止したが、日本は昔からの因縁でやめられない。

 この陰で、ひっそりと地震火山部の「地震予知情報課」も廃止された。

この廃止で、気象庁は名実ともに「地震予知」の看板を下ろしたわけだ。

 この課は3年前まで「事前予知」を前提とする東海地震の監視業務を行ってきた。

前身は地震予知情報室で、設置されて以来40年間、事前予知のための東海地震の監視業務を担ってきた。

 東海地震は1970年代に警告されてから大震法(大規模地震対策特別措置法)という法律まで作られ、いまにも起きるのではないかと思われた。

だが、起きないまま、約40年がたった。起きるとすれば南海トラフ地震の東端の一部として起きると思われている。

 学問的には地震予知は現在の学問レベルではできないと前から分かっていたが、2018年、政府はついに白旗を揚げた。

 政府が「予知はできない」として南海トラフ地震の防災対応を行う方針に転換したことで、課の名前と仕事の実態とがそぐわなくなっていたから、廃止されるのは当然だった。

「できないことをやる課」のように見えるという内外の声に押されたわけだ。

 ■島村英紀(しまむら・ひでき) 武蔵野学院大学特任教授。1941年、東京都出身。東大理学部卒、東大大学院修了。北海道大教授、北大地震火山研究観測センター長、国立極地研究所所長などを歴任。著書多数。最新刊に『多発する人造地震-人間が引き起こす地震』(花伝社)。

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